僕は周りの人に合わせながらも、自分のペースは崩さずに生きてきたのかなって、最近思うようになりました。
あまり人に嫌われなかったような、とろくてはっきりしないからイライラされていたような
面と向かって怒られたり反発されたりすることは少なかったと思います。
だから僕は良い子なのかな?
とてもじゃないけど自分が良い子だとは思えませんでした。
周りからは良い子だとか優しいとか言われてました。
その言葉が嬉しいような、でも信じられませんでした。
ただ周りの言葉通り、良い子でいるようにしていました。
本当のところは、いつも自分の出来る範囲で、しかも余力を残していたので感情的になることが少なかっただけかもしれません。
余力があると思っていれば、本来悔しいと思うようなことも平気でいられます。
でもいつも余力を残していたつもりが、いつの間にか周りの人は成長し、いつの間にか僕には余力なんてありませんでした。
いつも余裕があるつもりだから成長出来なかったのかもしれません。
周りの方は、僕よりもその時その時を全力で生きていたと感じます。
余裕を持つということは、成長を止めることなのかな
いつも必死で苦しそうな人は、キャパオーバーを繰り返して成長し、僕の届かないようなところを生きてるのかな
苦しそうで辛そうな人に、優しく「そんなに頑張らなくていいよ」と声を掛けるのは、その人の足を引っ張っているだけなのかな
行動的でやりたいことをして、よく失敗する人
そんな人は子供の頃は、よく悪いこともしていて、よく怒られてます。でもどこか愛らしく、先生からも実は気に入られています。
そういう人はたくさんの失敗を繰り返し、その分たくさんの経験をして成長します。
その経験が優しさにもつながります。
失敗を恐れたり、余裕がなくなるのを恐がっていると、成長は止まり、いつか大きな失敗をしてしまうのかな
僕は生き方を間違えたのかもしれません。
失敗を恐れず、いつも精一杯、今を生きられるような人になりたいと思いました。
それにはまずは恥を捨てることかな
あとは、ちゃんと今に集中することかな
恥を捨て、自分のことに、相手のことに、周りのことに、五感を集中させて生きてみようと思います。